親父のこと

３週間前から８３歳になる父親が入院している。酒と睡眠剤を飲みすぎて転倒し、頭部を強打して切って出血、一時意識も朦朧としていたため頭部の精査の為に入院したものだ。ところがその入院先で肺結核や強度の貧血が発見されて、長期の入院になっている。結核の治療薬のために腎臓が障害を受けて、また意識レベルの低下により嚥下性肺炎も発症して、一時危篤状態にも陥りしばらくは目が離せない状態だった。結核のため、山口県のかなり離れたところに病院があり、気軽に行くことも出来ずに弟夫婦と我々家族で手分けして見舞いに行く状態が続いている。

糖尿病、高血圧などの基礎疾患が幾つかあるため状態は改善せず、消化管出血も持続して次第に終末を迎えつつある状態だ。もう、そんなに永くはないだろう。あと一週間持つかどうか・・・・・。
親父は若い頃から放蕩をしてきており、本人は十分生きてきたと達観しているのかもしれない。若い頃は大柄で気が短くて怖い親父だったが、今、枯れ草のような痩身をベッドに横たえている姿を見ると寂しさが胸を襲ってくる。

振り返ってみれば、小学生の頃までは一緒に歩いていても、親父より大きな大人と遭ったことがなかったほどで、背が高くてダンディーな父親を子供なりに自慢でもあった。戦前の貿易港として繁栄していた門司に生まれ育った父は、所謂「ハイカラ」さんでスーツも和服も高級品しか着なかった。私が幼い頃まではギャンブルや賭け事で家に生活費を入れないようなこともあり、母親にはかなりの苦労をかけていたようだ。私も子供の頃に、母の指示で雀荘まで親父を何度も迎えに行ったものだった。所謂「飲む・打つ・買う」もかなりやったのではないだろうか。そんな親父も私が中学に入学する頃から、教育パパに変身して賭け事を止めて参観日には必ず出席するようになった（その当時の親父の心境の変化は未だに良く分からないが・・・・・）。

私が小学生の頃は、同級生とソフトボールの練習をしていると何処からともなく親父が現われて、鬼軍曹よろしくスパルタ式に鍛えられたものだった。また何でも新しいものが好きで、まだほとんどの家庭に自家用車がないころに、免許を取るや否や車を買って家族で良くドライブをしたものだ。今でも印象深く頭に残っている光景があるが、それは私が大学入試に落ちて京都の予備校まで行った時のことだ。夕方に親父の車に生活用品を積んで、親父と二人山陰周りで夜通し車を走らせた。朝方に京都に着いたが、ちょうど山陰路は桜が満開でそれは見事な花見となった。翌年、私が大学に入ったときには親父は小躍りして、入学式に出席のため熊本まで駆けつけて来たものだった。後で、友人の間を私のことを自慢して回っていたことを人づてに聞いた。

ただし、私が大学に入っても怖い父親であることは相変わらずで、親父が熊本まで来るという連絡があったときは慌てて部屋の掃除をして緊張して出迎えたものだった。そんな状態だったが、大学入学後はいつの間にか友人同士のような要素も出てきた。特に私がゴルフをするようになってからは、大学の定期試験が終わると急いで帰省して親父とよくラウンドしたが、その頃から我々の関係も少々変わり出したようだ。学生時代に野球の投手をしていたほどのスポーツマンだった父には結局、ゴルフでは一度も勝てなかったが、今思うと楽しいひと時だった。

そんな親父も私が婚約した時に、仲人と一緒に３人でゴルフをしたのを最後にゴルフを止めてしまった。胃潰瘍で手術をして体力が落ちたのがきっかけだった。それからは以前の父の面影はなく、痩せて家に篭ることが多くなり次第に元気がなくなっていった。特にこの５年くらいはたまに我が家を訪ねてきても、庭の椅子に腰掛けてじっとしている状態で見ていて寂しい姿だった。

考えてみれば、親父の世代は青春時代を戦争に駈り出され、戦後はシベリア抑留や引き上げ後のドサクサで波瀾に満ちた生活だったろう。父は戦後の一時期、進駐軍のボディガードをしながら、食いつないでいたこともあったようだ。アメリカ兵から貰った軍服を何時も着ていたので、体格の良かった父はよくアメリカ兵と間違われて困ったと苦笑していた。晩年は病気のデパートのような状態で、スポーツマンで活動的だった父には寂しかっただろう。しかし、一生を通してみると、大正時代に生まれた一人の男としては、好きなことを充分にして、それなりに充実した人生だったように思う。