狂犬病ワクチン

先週は日本で狂犬病患者が２名出たというので騒ぎになっている。 これは二人ともフィリピンで犬に噛まれた既往があり、日本の犬によって発症したわけではないようだ。今回の報道では警戒心の欠如した日本人旅行者に警鐘を与えることではそれなりの意味はあるのだろう。しかし大学院で細菌学を 学んでいた私からすると、少々危なっかしい報道がなされていて気になることがある。それは狂犬病ワクチンについてだ。

以下の説明が理解しやすいように、 まず初めに狂犬病の発症について簡単に解説しておく。ウィルスを持った犬などが人間を噛むとその傷からウィルスが浸入する。するとウィルスは近くの神経まで移動していってその神経内を伝って中枢神経に達してそこで増殖して狂犬病が発症する。この間が潜伏期間で神経を伝っていく 時間がまちまちなので潜伏期間も数週間から数年と大きなバラツキがある。脚の末端の神経などに感染するとウィルスが移動する距離が長いので潜伏期間も永くなる。そうして一旦発症すると致命率は１００％でほぼ全員助からない。 またこの狂犬病ウィルスを殺すには特異抗体というミサイルを注射して体内に入れるか血中のリンパ球で作るように誘導する必要がある。

ところが今報道されているのは【犬に噛まれたらすぐに病院にいってワクチンを打ってください、そうすれば大丈夫です】というものだが、これは明らかに間違っている。そもそもワクチンはウィルスを攻撃するミサイルそのものではなく、そのミサイルを作るための情報に過ぎない。つまり 『こういう性質のウィルスが浸入してくるので、こんなミサイルを作って防衛するべし』という情報を与える だけだ。従ってワクチンを打ってからミサイルが用意されるまでには時間がかかり、その間はウィルスが 傍若無人に活動することになる。だからウィルスが入ってきてから接種したのでは間に合わない。

一般的に言えばそういうことになるが、発症までの潜伏期間の永いウィルスについて言えば例外的に間に合うこともある。ただし狂犬病の場合は潜伏期間は永いものの、一旦神経組織に入ってしまえばもうミサイル で攻撃できない。つまりウィルスが長いトンネルに入ったようなものだ。このトンネルを通ってミサイル攻撃をかわしつつ脳まで到達してしまう。ワクチンを打ってリンパ球でミサイルが作られ始める までに１０日間かかるので、この間にトンネルに入ってしまうともうお手上げで、いくらミサイルが増産されようと発症を抑えられない。

だから噛まれる前の予防的なワクチン接種が重要で、前もって３回ほどワクチン接種しておくとミサイルが用意されている状態になるので安心だし、２回以上打っていると時間の経過でミサイルが減ってきたり無くなっていても 、再度ワクチンを接種すると情報が記憶されているのですぐにミサイルが増産されてウィルスをやっつけることが出来る。

それでは噛まれる前に接種してないと座して死を待つのみかと言うと、それにはちゃんと手段がある、免疫グロブリンだ。これはワクチンと違ってウィルス攻撃用のミサイルそのものだから、これを 注入するとすぐさまウィルスを攻撃して殺してくれる。ただしワクチンのように長期間活躍できずに短期間になくなってしまう （因みにワクチンは５年間有効だが、グロブリンは２週間単位で半減していく）。

そこでワクチンを打ってないか一回しか打ってない人が犬に噛まれた場合、出来るだけ早くグロブリンとワクチン両方を接種してすぐに攻撃を開始しウィルスがトンネルに入り込むのを阻止する。そしてワクチンで作られた ミサイル増援部隊が出来あがるのを待ってウィルスを全滅に追い込むという手段しかない。この場合はグロブリンにプラスしてワクチンは５回接種する必要がある。ただしグロブリン製剤は開発途上国ではすぐに手に入らない地域も多く、先進国でも山奥などで噛まれた場合などその日のうちにグロブリンを打てない場合もある。いつでも何処でも接種できると考えるのは認識が甘いし、グロブリンはその日のうちに打たな いと手遅れになる危険性がある。やはり事前のワクチン接種が重要になる。

最後に日本、イギリス、ニュージーランドなど島国（先進国に限る）以外はまず狂犬病ウィルスが存在していると考えた方が良いので、外国では犬やネコに限らずすべての哺乳動物に安易に手を出さないことが 肝要だ。