ノーベル賞と詐欺師

今年度のノーベル賞の医学生理学賞はエイズウィルスの発見によりフランスのリュック･モンタニエが受賞した。同時受賞者に同じフランスのフランソワーズ・バレシヌジも居たが 、エイズウィルスでは一世を風靡したアメリカの ロバート・ギャロは居なかった。この結果にはエイズウィルスに興味を持っていた人々にある種の感慨を与えただろう。

エイズウィルスの発見に関してはこの２０年以上にわたって黒い雲が頭の上に垂れ込めたような雰囲気がつきまとっていた。それが今回フランスグループだけが受賞してアメリカグループ（と言ってもギャロだが)は排除された。この事実はノーベル財団の健全性を示すとともに 、この問題にはっきりした決着をつけて暗雲を吹き飛ばしたかのような爽快感がある。

１９８４年アメリカ の保健省は国立衛生研究所（ＮＩＨ）のギャロがエイズウィルスを発見したことを公表した。世界中は驚くとともにノーベル賞は間違いないと賞賛した。ところがフランス：パストゥール研究所のモンタニエがエイズウィルスは自分たちが１９８３年に 発見し発表したもので、ギャロの 公表したウィルスは自分たちがサンプル提供したものを盗用されたものだと異議を唱えた。これから世界中の関係者を巻き込んでの大論争に発展した。ギャロはアメリカ医学会の大物で政界にもコネが多く、学会の場で英語の弱いモンタニエを語気強く 非難したり、独自の方法でエイズウィルスに迫っていたハーバードの若い研究者を罵倒したりで 自分の保身のためにはやりたい放題だった。

この解決は長期間かかるを思われたが、誰も想像しないような意外な形で決着した。１９８７年、レーガン大統領とシラク大統領がギャロとモンタニエの二人が同時発見したことにするとの政治決着をし、特許料をアメリカとフランスで折半すると申し合わせた。これには決着の長期化を予想しエイズの検査やワクチンの製造に支障が出ることを危惧した政治家の影響が強かったと言われている。

これで表面上は落ち着いたかと思われたこの論争だったが、１９８９年にシカゴトリビューン誌の小さな記事が発火点となって蜂の巣を突付いたような状態を迎えることになる。この記事のなかで ジョン・クルードソン記者は５０００ページに及ぶ関係書類や１５０名もの研究者に取材してギャロの詐欺的行為を暴いたのだった。ギャロは自分が見当違いのウィルスを追っかけていたのに気づいたが、世界のエイズ研究では先頭を走っていると自負していたためかその間違いを認めることが出来なかった。そしてモンタニエから送ってもらったサンプルのウィルスを自分が見つけたとして１９８４年に発表したのだった。

もちろんギャロはこの記事のことは否定していたが、遺伝学的解析でギャロのウィルスがモンタニエのものと全く同じウィルスであることが証明され た。これにはモンタニエが一人のエイズ患者から取り出したウィルスだけを使っていたので遺伝解析が出来た幸運もあった。ギャロも 雑誌「ネイチャー｣上で渋々このことを認めた。ただし故意にパクッたのではなく実験中の事故でウィルスが混じったと言い訳をしているが。

こんなギャロだがいまだにアメリカ医学会では絶大な権力を保持していて、メリーランド大学の医学部責任者の席に就任するとともにバイオケミカル会社のオーナーを務めている。アメリカ政界にも顔が利くようだ。こんなギャロが今回ノーベル賞を授与されたらアメリカ以外の世界中の関係者はガックリ来ただろうが、ノーベル財団は２０年間独自の調査を行なってギャロを外したのだった。これはノーベル財団の良識を示すものとして歓迎され るだろう。