ある訃報

　

先日、朝刊を読んていたら訃報欄に目が行った。死亡したその人物とは知り合いでもなくほとんど関係もなかったが、 少々気になる訃報だった。その人はセーラ・ローウェルといい、元モデル兼タレントだった。 実は 彼女とは今から２０年以上前にハワイで一度会ったことがある。

彼女が活躍していた２０代の頃はまずほとんどテレビで彼女を見かけない日はないと言ってよいほど毎日ブラウン管に登場していた。それは彼女がＣＭタレントとして超売れっ子だったからだが、ハーフ特有の均整のとれた四肢と容貌でＣＭでは引っ張りダコだった。今から３０年近くも前だろうか、ある日大学の医局でテレビを見ながら教授と談笑していたら、彼女が偶然テレビに映った。その時教授が「あっ、セーラだ。この子は住んでいた家が我が家の傍で、小さいころはよく家に遊びに来てたんだよな」と ポツリと語り始めた。

彼女は当時大人気だったので、そこに居た医局員全員が思わず身を乗り出して教授の話を聞き出した。その時の話は今では忘れてしまってほとんど思い出せないが、なんでも東京の下町で狭い町内の隣同士で住んでいたということだった。 その彼女と私が会ったのは平成元年の２月、初めてハワイに行った時だった。その時は開業のために大学病院を辞していて、開業後は海外旅行もそうは行けないだろうと思い、思い切ってハワイでのゴルフパックに申し込んでいた のだった。

そのツアーは一週間くらいの行程で、アメリカのゴルフツアーの開幕戦であるハワイアンオープンを観戦後に、ショッピングやゴルフラウンドを３日間予定されてた。確かその初めの日だったと思うが、 ゴルフ場のフロントで受付をしていたら横に大男が来た。アメリカ人は大きいなあと 見上げたらそれはジャイアント馬場だった。テレビでは細く見える上腕も私の太腿くらいあるのではないかと思われるほど太かった。結局、彼は我々の組のすぐ前の組でラウンドしていたが、あの体躯からすると考えられないくらい ボールも飛ばないで思わずクスクス笑いが出るほどだった。

そのラウンドの前半が終わって、レストランで昼食をしている時だった。我々のテーブルのすぐ近くにひときわオーラを放つ一団が座っていた。一目で芸能人と分かるその一団は東京弁で雑談をしながら食事を摂っていたが、そのなかにセーラが居た。旅に出ている解放感もあり、今の私では考えられないがセーラのもとへ行って、あいさつを済ませた後に教授から聞いた話をしてみた。そうすると「済みません、ちょっと思い出せないんですが・・・」という反応だった。 今でもその時の彼女の迷惑そうな表情を思い浮かべることが出来るが、多分「変な奴が絡んできたな、こいつとは関わらないほうが良いわ」という感じだったのだろう。 件の教授というのが少々放言癖があり（言い過ぎなら失礼！　つまり話を多少大きくする傾向があり）、ひょっとしたら道で一度だけ会ったことがあった、くらいの事だったのかもしれない。帰国して教授にセーラとの会話の事を話したら、「アッ、そう」の一言で終わったから、教授自身もその話をしたことさえ覚えてなかったのではないだろうか。

今思うと、その時の私は髭も剃らずに着古したジーパンにアロハだったから、突然話しかけられたら誰でも警戒するのが当然だったろうと思う。彼女の横には中年の男性が座っていたが、彼も不審そうな表情をしていた。後で考えると彼は当時結婚したばかりの夫だったはずだ。その時の彼女は本当に綺麗で光り輝いていた。その彼女が ２２年後に５０歳で子宮頸癌により死亡したのだ。

人間の一生なんて誰にも予測はできないだろうが、記事によると彼女はその後離婚と再婚を経て、５〜６年前にがんを発症し治療をしていたようだ。あのハワイで会った時の光り輝く彼女とこの記事の彼女が結びつかなくて、 何とも信じられない思いが強い。 あの当時３０代半ばだった私が還暦近くなるほどに時間が過ぎ去っているので、どんな変化が起こっても不思議ではないだろうが。 そういうことで訃報欄から一瞬のうちに２２年前のハワイ旅行に思いが及んだ朝だった。