取り返しのつかない事
　

世の中には取り返しのつかないことは無数にあるが、これはその中でも頂点に挙げられるような事件ではないだろうか。先日裁判で判決が下りた６０年前に生まれた赤ちゃんの取り違え事件がそれだ。 昭和２８年という私と同じ年に生まれたこの２人の赤ちゃんは取り違えだけでも相当な悲劇だが、当事者の家庭があまりにも対照的なほど違っていたので余計に切なさがこみ上げることになっていると思う。

今回生まれた病院を裁判で訴えたほうをＡさんとし取り違えの片方をＢさんとすると、Ａさんの家庭は父親がＡさん２歳の時に死亡し生活保護を受けていて、２人の兄さんも中学卒で働きに出ている。Ａさんも中学を出て働きつつ自分で学資を捻出しながら夜間高校に 入学した。現在はトラック運転手として働きながら血の繋がりのない兄さんの介護をしている状態だ。

私と同い年だからよく分かるが、この世代で高校へも進学できないのはかなり厳しいと思う。就ける職も限られるし年収もかなり低くい職しか望めないだろう。それも本人の能力ややる気のせいで進学しないのならなんともないが、経済的な要因で進学できないのならこれは相当過酷な境遇と言わざるを得ないだろう。私が小学生の頃、近くの知り合いのお兄さんが成績が良かったのに大学に進学できずに、鬱になって２度も自殺未遂をしたことがあったが本人にとってはまさにこういう心境にもなるだろう。

かたやＢさんのほうは４人兄弟が全員私立の高校から大学へ進学している。Ｂさんは小学生の時から家庭教師を付けてもらっていて現在は不動産会社の社長をしている。ここまで家庭環境が違えばその後の人生に大きな違いを生じるのは当然で、取り違えがなければこの２人の職業や人生も反対になっていた可能性もある。しかも年齢からしてもうそろそろ定年退職を迎える時期だ。 今更仕事の面ではやり直しは出来ないだろう。

そう考えるとこれはまさにもう取り返しのつかない出来事で、この取り違えの結果起こった２人の人生への影響は計り知れない。Ｂさんはまだ良かったかもしれないが、Ａさんはどういう心境なのだろうか？　私だったら鬱にな りそうなほどの出来事だが、記者会見を見ているとこのＡさんは穏やかに心境を吐露していた。育ての母にも貧しいながらできるだけの事はしてもらったとの感謝の念を述べていた。もともと温厚な性格なんだろうが、なかなか真似の出来ることではない。

それにしても今回この取り違えにに気づいた切っ掛けがＢさんの３人の兄弟がＢさんだけ似てなくて違和感があったとの疑念からだった。そこから兄弟間でＤＮＡを調べた結果Ｂさんだけが遺伝的に違っていたことが判明し、そこから病院の記録を調べて Ａさんの存在が分かった。これはある種不思議なことで親子間や兄弟間で似てない家族は世の中に多数いると思う。そういうなかでＤＮＡ鑑定まで持っていくとは相当強い疑念があったのだろう。 血の繋がりの強さを思い知らされるような現象だ。

今回の出来事は過失からとは言え、取り違えられた赤ちゃんの家庭環境があまりにも違っていて、、そこから赤ちゃんの人生にも取り返しのつかない変化をもたらした 事が容易に予想されるのでなお一層衝撃的だった。同じ昭和２８年生まれの者として人間どんな災いがあるのか背筋が寒くなるような、また不幸なアクシデントで過酷な人生を送らざるを得なかったＡさんに思いを馳せるとなんとも切ない事件だった。